壬申戸籍(じんしんこせき)とは
壬申戸籍(じんしんこせき)は、明治4年(1871年)の戸籍法に基づいて、翌明治5年(1872年)に編製された戸籍のことです。
壬申は「みずのえさる」「じんすいのさる」「じんしん」など複数の読み方を持つ、干支の一つです。干支の中では9番目に該当します。
干支(えと・かんし)とは
干支は古代中国が考案した年・日(や方位)を表すシステムです。万物の「陽」「陰」の2つの要素に分けられるとする「陰陽説(いんようせつ)」と、すべて「木」、「火」、「土」、「金」、「水」の5つの要素からなるとする「五行説(ごぎょうせつ)」を組み合わせて「十干」に当てはめるようになったことが起源です。
- 甲(きのえ)
- 乙(きのと)
- 丙(ひのえ)
- 丁(ひのと)
- 戊(つちのえ)
- 己(つちのと)
- 庚(かのえ)
- 辛(かのと)
- 壬(みずのえ)
- 癸(みずのと)
壬申戸籍が使われた年代
この壬申戸籍では1872年から86年までの記録がカバーされています。
壬申戸籍の編纂理由と歴史背景
編纂理由と目的
壬申戸籍は人口調査と登録の目的をもって明治政府により制定されました。これが明治4年(1871年)のことです。
人民を把握して行政目的の重要な資料とすることを目的としていました。
歴史的背景
明治政府が1867年(慶応3年)の大政奉還後に設立された4年後の出来事で、同じ1971年に廃藩置県が起きています。さらに翌年の1872年には徴兵の詔と呼ばれる徴兵制度が確立しました。この壬申戸籍によって管理された個人情報が徴兵制度の確立に重要な役割を持っていたことは間違いありません。
壬申戸籍の体裁
美濃紙の寸法による公用紙を使うことと規定されていましたが、実際には枠などがない白紙を用いたものもあったようです。個人や社会的階級、書類が作成された地域によっても差がありました。
壬申戸籍の記載事項
- 出生、死亡、結婚、離婚、養子縁組が主に記載
- 新しく規定された本籍と氏名も記載
- 平民の名字が法的にも許されるようになったばかりで名字の多くは過去との繋がりはない
- 家族は人組で戸籍に列記
- 戸主から記載されて、戸主は記録が正確であるという印を押した
- 華族、士族、平民、神官、新平民の族称も記録
- 職業、宗旨、氏神、犯罪も記録された
明治時代に四民平等を嫌がる平民の間から自然発生した、旧・賤民(穢多・非人)に対する蔑称です。
壬申戸籍を家系図調査に利用できる可能性は?
行政的配慮から利用は厳しく制限されています。市町村の記録保管庫に「封印」されているか、あるいは廃棄されている場合も。
厳しく制限されるようになった理由は、壬申戸籍が新平民などの族称も記録されていたため、部落差別の調査などに使われていたためと言われています。
そもそも四民平等は政府の指針であるにも関わらず、政府が管理する公式の記録である戸籍に新平民等の蔑称が記載されていたことは、当時の社会的状況下で以下に旧・賤民(穢多・非人)に対する差別が根強いものだったのか窺い知れます。